イタリア家庭料理の豊かな食卓
信州の土と人が育てた、イタリアンレストラン『Al Sorriso アル ソリーソ』。
イタリア語で「微笑み」という意味だそうだ。地中海を感じさせるテーブルクロスやオレンジ色の壁は、とても温かく楽しい雰囲気の店内。
「イタリア家庭料理の古き良き食卓の豊かさを大切にしています」。
オーナーシェフの竹内晃さんは、イタリアの北から南まで、多種多様なスタイルの料理を季節感を大切にしながら作っている。
19世紀に初めて1つの国となったイタリアは、昔は別々の都市国家だった。だからイタリアには「イタリア料理」という概念がなく、全20州で驚く種類の「郷土料理」が食べられる。北はフランスやスイス、南はアフリカやギリシャに近く、「山岳、平野、海洋」と3つの気候によって食材も様々。
酪農が盛んな北部は、バターやクリームを多く使い、煮込み料理も多い。オリーブ栽培が盛んな中部から南部は、オリーブオイルが料理の基本でトマトをよく使い、味付けもさっぱりしている。
この魅力あふれる「イタリアの郷土料理」を、なるべく信州の食材を使い、季節感を大事にしながらメニューに取り入れている『アル ソリーソ』。
例えば2016年のオープン当時から人気メニューのひとつ「ラザニア」。
春夏は信州サーモンのホワイトソース、秋冬は蓼科豚を使って季節感を出す。店内にある大きなピザ窯で焼く本格ピザも、トマトをたっぷり使った「マルゲリータ」から、チーズたっぷりの「クアトロ・ポルチーニ」まで幅が広い。
『蓼科豚あらびきポークのスパゲッティー』は、通年食べれるメニューのひとつ。トマトを使いすぎない真の「ボロネーゼ」。歯ごたえを残した野菜の甘みと肉の旨味、素材の味ひとつひとつが味わえる美味しいパスタだ。
地元でその季節にとれる新鮮野菜をふんだんに使い、肉料理もお得意メニュー。ジビエが手に入れば本格的な鹿肉料理も登場する。どれも大皿に少量でなく、皆んなで数品分け合って食べれるようなきちんとした盛り付けだ。
「自分の店を開くと決めた時、佐久で開業することの意味を考えた」と、竹内さん。
土地柄を大切にしたいと思った結果、見えてきたのは、家族や友人たちとわいわい楽しく食べれるような店だった。その環境に何がいちばん適しているかを、柔軟に自然に考えた結果が今の店の形になった。なるべく地産地消。どんな食材が手に入ってもきちんとイタリアンとして料理する。フュージョン料理はお客さんを混乱させるという考えで、流行りは追わずに基本を守ったイタリア料理を貫いている。
「泉」のような、人の集まる場所
北佐久郡御代田町で生まれ育った竹内さん。
「高校生のときにアルバイトでステーキハウスに勤めた時から、”お皿洗いしてても楽しそう”と周りに言われ、料理の道に進もうと決めました」と、笑う。
高校卒業後には上京し、まずは目白で修行開始。その後イタリア料理店『アクアパッツァ』で長年に渡り腕を磨いた。イタリアのマルケ州に修行に出かけたり、鹿児島『白水館』に併設する『フェニーチェ ディ アクアパッツァ』の立ち上げメンバーとなり、料理長も勤めた。
鹿児島で出会った旅館創業家ファミリーに感銘を受け、
「謙虚な姿勢でいることの大切さ」を学んだという。『白水館』は「泉」という文字からくる。旅館は日本文化の形象。水が川のように流れていって一か所に溜まり、そこが泉になる。川という文字の意味は「料理、接客、雰囲気」。この3つは、「お客さんに寄り添って考える姿勢」によって初めて喜ばれる形となる。
「水が流れて溜まるところには人が集まる」。
竹内さんの店作りは、そこが原点だそう。
竹内さんは人が好きだ。皆んなと気楽に話をし、年齢は気にしない。誰からも学ぶことがあるという姿勢を持つ、背筋ののびた素敵な人だ。気さくに話をして色んな観点から物事を見ることを楽しんでいる。そんな彼に今後の夢を聞いてみた。
「少子高齢化だからこそ、地域完結型のビジネスモデルを造っていきたい」。
「第一次、第二次産業、消費者」3つが混ざり合って参加しあう共同体。
佐久地域の良さをみんなで活かし、一緒に豊かになる。
大勢で意見交換して助け合った方が能率がいい。だから皆んなで一緒に能率を上げて行けるビジネスのコミュニティーを思い描いている。
「佐久に戻ってからは、人の輪の広がりに感謝する日々」と、笑顔。
古き良きイタリアの家庭料理を作る温かい店だからこそ、コミュニティーから人が集まって、どんどん「泉」になって行く。