三石温士

Chef
長野県佐久市

お客様に応えたい

東京、フランスのレストランで経験を積んだあと、地元の佐久市に戻り、軽井沢の別荘地を中心に、店を持たない出張料理人として活動している三石温士さん。

依頼があると、基本のメニューにその時々の季節の食材を加えてメニューを組み立てていく。食材のひとつひとつは信頼する仲間から買い、マニアックな野菜は自分で育てているという。他にも実家の果樹園で獲れた果実、山で採った山菜やきのこなど、自信を持っておいしいと言える食材だけを使って、おいしい料理を自宅で味わいたいという舌の肥えた食通たちを唸らせていく。食事とともにいただくワインは、三石さんがフランスのワイナリーで買い付けたものや、こだわりの日本産のものの中からチョイス。ソムリエの資格も持っており、何より三石さん自身がワイン好き。お客様の中にはワイン愛好家の方もたくさんいるというから、ワインに精通した三石さんを信頼している証拠だろう。

 

 

 

三石さんが料理を作る上で大切にしていることは、お客様のニーズに応える、ということだ。
東京から軽井沢にやってくるお客様は、霜降りのお肉や、深い旨みのあるフォアグラよりも、三石さんが山で取ってきた山菜や、長野の豊かな風土で育った野菜を好む。
それはお客様が、東京でも食べられるものではなく、ここでしか食べられないものを求めているから。
それを知った上で、いちばん美味しく食べられる方法で提供することを考えていく。
例えばスーパーでは見かけることすらない太くてたくましいアスパラは、見た目を重視して薄くスライスしたり、削ったりしないで、その歯応えを感じて食べるのがいい。その無骨さが太いアスパラをもっとも楽しむ食べ方だと思うからだ。

 

フランスでの濃密な経験が支えているもの

こんなふうにいちばんおいしい調理の仕方を追求することは、フランス時代に共に働いた佐藤伸一シェフの影響だそうだ。
佐藤シェフはパリで日本人初の二つ星を獲得した経験を持つが、三石さんはその星獲りに挑んだメンバーの一人でもある。
ストイックに食材と向き合う姿勢を間近で見た時間は、フランスで過ごしたどのレストランよりも濃密だったと話す。

フランスでは働き方についても考えされられることがあった。
東京のレストランで働いていた頃、長時間労働で体調を崩したことがあった三石さん。しかしフランスでは日曜日は原則休みのため、サービス業であるレストランも閉まる。従業員は週休二日制で、ランチタイムからディナータイムの休憩時間も日本よりずっと長く、何より1ヶ月のバカンスを取ることができた。仕事は厳しくキツイと思うこともあったけれど、フランスでは当たり前の働き方が、体力的にも精神的にも三石さんを守ってくれた。日本の飲食業界では当たり前になっているサービス残業はなく、長い労働時間ではあるものの休みが多くメリハリのある働き方ができるフランス。
人が人として充実した人生を歩む上で、また三石さんが料理人を続けていくためにも、フランスの働き方はとても理にかなっていた。

 

日本に帰ってきた今でも毎年11月には1ヶ月のバカンスを取ってフランスに渡り、ワイナリーを巡ってワインを買い付けたり、おいしいものを食べ歩いたりと、インプットの時間に当てている。
ゴールデンウイークから夏、そして紅葉が終わるまでは軽井沢で出張料理を振る舞い、開いた日は畑をいじったり、食材の買い付けに行ったりと忙しい。
軽井沢のオフシーズンである冬の間は、白馬のホテルの料理長として各国から集まる外国人のスタッフと共に働いていたこともあったが、今後はそこで培ったノウハウをもとにコンサル的な視点からホテル料理に携わっていけたらと話す。
働くときは一生懸命働いて、遊ぶときはしっかり遊ぶ。フランスで実践していたメリハリのあるワークライフバランスは、日本で暮らす今も三石さんを支えている。

 

 

おいしい恵みがたくさんある長野に戻って料理や自然と向き合っていると「地元の食で地元を盛り上げたい」と思うことも増えてきた。
その一環として目指すのは、出張料理のラボ的な場所を作ること。
そこは仕込みをしたり、新しいメニューを試したり、また少人数で集まって食事をしたりできるスペース。レストランのようにいつも開いているわけではないけれど、地域を活性するスペースになるのが理想だ。

 

三石さんは「おもしろい人にしか、おもしろいものは作れない」と言う。
これから紡ぎ出される三石さんの未来がどんな形になろうとも、それはおもしろいものに違いないい。

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